被災地における教育支援の必要性について

震災直後から展開してきた被災地支援。1年以上が経過し、これから先の長い年月の間に、自分自身が何をすべきかを真剣に考えてきました。その考えをまとめる意味で、一旦文章にしてみようと思います。乱筆のため自分の真意が伝わりにくいかもしれません。また、異論/反論を受けることもあるでしょう。それでも、この数ヶ月考えてきたこと、そしてこれからやろうとすることの目的・意味を整理する上で重要なことだと思い、記しました。

被災地の今
数十年間の年月を要する被災地の復興
元々過疎地域だった被災地
県内の半分以上の森林の除染を必要とする福島

被災地の大人と子ども

バブルに躍り、未来に絶望するおとな達
おとなの庇護を必要とする子どもたちに居住地に選択の自由はない
子どもたちは苦しむ大人を見て、健気に自分の置かれている立場を理解している
大人の残した負の遺産を継承する自覚を持ち、町を再生する責任感を感じている。
元に戻った森林を確かめられるのは未来のおとな。つまり、今の小学生達
現実の不条理に直面しても、子どもたちの希望は絶やさない
子どもたちの未来は、今のおとな達の責任
せめて後ろ指指されない大人になりたい
大人の遺産を継承するのではなく、子どもの世界を創り出す
70年代の先輩達を見習うとき。先達の【負けるもんか】を継承する
全ての子どもたちのために
日本全国の子どもたちが同じ感情を共有している
高い価値観と世界観を醸成させることが必要
被災地の子どもたちには特別な価値観がある
子どもを守ることが未来を創る
日本の将来像は、今の子どもたちへの対応で決まる
教育機会を提供する

被災地の今

数十年間の年月を要する被災地の復興
ご承知の通り、東日本大震災による被害から再生するためには、20年以上の歳月がかかると言われています。また、福島第一原発事故の収束には更に数十年。
放射能の恐怖から逃れるには100年単位の年月が必要です。つまり、私たちが生きている間に、被災地の輝かしい未来像を眺めることはほぼ不可能なのです。
政府の復興支援のちぐはぐな対応は、新たな街づくりのための産業再生や新事業創出を停滞させ、世論の沈静化は被災者の疎外感を拡大させています。本当にこの町が蘇ることがあるのか、そんな悲壮感の漂う小さな集落さえあります。
それでも被災地では日々の積み重ねにより明日の暮らし、そして未来の自分たちの姿を重ね合わせながら、復興に向けた活動を続けています。

元々過疎地域だった被災地
元々被災地は、過疎化が進み、超高齢化社会として右肩下がり状態が続いていました。流出を続ける人口、農水産業と観光業頼みの産業構造。
んな小さな町に地震と津波が襲い、全てを奪い去りました。元に戻ることさえ出来ない貧弱な体力で、復興を行わなければならないのです。だから、復興には日本全体からの支援はどうしても必要です。
被災地も復興予算を無駄にせず、未来につなげるために様々な努力と英知を結集しています。しかし、元々小さな町。街づくりのノウハウも持たない自治体だけではどうしようもありません。
そこに復興特需のバブルが流れ込み、あの手この手で街づくりのために民間企業・団体が押し寄せています。
町民同士全ての顔と名前がわかる・・・そんな外の世界と隔離された小さな漁師町に今、多くの人々が押し寄せ、輝く未来を語り、そのための支援を行うと約束し、住民との交流を進めています。でも、そんな話の殆どは月日と共に消え失せ、残るのは脱力感だけ。ホントの復興作業はそこに住み続け、数十年の歳月をかけて行うものであり、誰もが着手できるものではありません。

県内の半分以上の森林の除染を必要とする福島
福島県の復興作業は、それ自体が日本を左右するものであることは自明です。しかし、その福島が、他の地域の復興の妨げになっています。汚染と風評被害です。
宮城・岩手のガレキの広域処理も、利益を追求する業者と自治体との思惑や受け入れ先の住民感情等が渦巻き進んでいません。被災地の人々は、ガレキを受け入れることの難しさをよくわかっています。また、行政の裏側、政府の裏側についてもよくわかっています。人道的支援等ではなく、そこに生まれる利益誘導であることも気づいています。だから、黙々と自分たちの手で、自分たちの町で処理するしかないと考えているのです。
被災地のガレキは全く無くなりません。今もその90%以上が残ったままです。地元のセメント工場では毎日フル稼働で処理していますが、それでもあと4~5年はかかりそうです。
そして福島は県内の半分以上の森林に手を加えなければ椎茸さえも作ることが出来ません。除染のために伐採させるのは、森林はもちろん、小学校の桜の木さえ全て伐採しなければなりません。
福島の災害廃棄物は、これからも発生し続けます。最終処分までに長い年月がかかります。福島のきれいな里山が元の姿に戻すための植樹は数年後の作業になるでしょう。DASH村がまた福島に登場する日が来ることはもう無いのかもしれません。

被災地の大人と子ども

バブルに躍り、未来に絶望するおとな達
ご存じのように、現地では復興特需で沸いています。しかしこれはごく一部の土木建設関係とそれに付随する交通・宿泊施設だけ。更に特需の恩恵を受けているのは地元ではなく、県外の業者や労働者であることも多々あります。
バブルはいつかは弾けます。特需でできあがっていくものが結局コンクリートの箱物になれば、その真新しい構造物とは対照的な荒廃した港町を想像することは簡単です。
真に町の再生を考えるより先に、おとな達は目先の現金に群がり、やり場のない怒りや悲しみを紛らわしているようにも見えます。それでも、大人は出来ない我慢をこのようなバブルで誤魔化しているのかもしれません。

おとなの庇護を必要とする子どもたちに居住地に選択の自由はない
子どもたちにバブルの恩恵はありません。今は大人の進む道を黙ってついて行くしかないのです。経済的に恵まれた家庭は、新天地に居住地を求めます。それが出来ない家庭は、引き続き見えない将来に不安を覚えながら同じ町で暮らしています。
どちらにしても子どもたちは、大人に従わざるを得ません。いや、むしろ進んで大人の言うことを聞いて、大人について行こうとしています。大人を一人にはさせず、自分たちも復興の手助けをしようと努力しているのです。

子どもたちは苦しむ大人を見て、健気に自分の置かれている立場を理解している
被災地の子どもたちは、どの子も皆健気です。あらゆる苦悩に苛まれ、将来に悲観し、不安を抱くおとな達に『必ずこの町は元に戻る。いやそれ以上の町になる。ボクらがそんな町にするんだ!』と勇気づけています。
子どもたちの不安は大人の想像を超えています。しかし、彼らは愚痴ひとつ言いません。なぜなら、大人に甘えたり、わがままを言ったところで何も生まないし、何も起こらないことを知っているからです。だから、寡黙に今自分がすべきことに一生懸命です。
学生ボランティアに頼りながら、暗い避難所でひたすら受験勉強をしてきた高校生。慣れない土地に移り住んでも、好きな部活に夜遅くまで打ち込む子どもたち。その努力は、おとな達の勇気につながるだけでなく、将来の町のための大きな力になることを知っているのです。
彼らは今、頼る大人はもちろん、相談の出来る友人達も失っています。それでも孤独と戦いながら、『負けるもんか!』と自らを奮い立たせて、今日もガレキとガレキの間の通学路を通っています。

大人の残した負の遺産を継承する自覚を持ち、町を再生する責任感を感じている。
自分の親の世代の寿命は長くてもあと30~40年。現役でいられるのは更に短い年月です。しかし、復興のスピードは遅く、とても今の大人だけではその達成は困難です。そのことを一番よくわかっているのは子どもたち。
震災の爪痕はもちろん、原発事故も全ておとな達の責任であるのに、子どもたちは、この遺産を受け継ぎ、新たな街づくりを行うのは自分たちであるという自覚と責任を持っています。
私たち大人は、この子どもたちに大変な遺産を残してしまいました。しかし、そのことを子どもたちは誰一人悪く言うのではなく、自らを律し、よりよい町にしていくために自分が立派な大人になるんだとの決意を持っています。
自分たちが大人になったとき、大人が残した負の遺産を精算し、新たに創り上げる輝かしい未来に向かうことを誓い合っている。そんな強い心を被災地の子どもたちは、人知れず心の底に秘めています。

元に戻った森林を確かめられるのは未来のおとな。つまり、今の小学生達
福島県の除染された山々に新しい木々が育み、またもとの素晴らしい里山の風景になるまでには数十年の年月がかかります。その姿を確かめられるのは今の子どもたちだけです。
彼らは、今までの楽しかった福島の生活を山々に見ながら、その山の再生こそが福島の未来とオーバーラップしていくことを知っています。だから、福島のために成長し、地元に就職し、少しでも復興の役に立つ人間になりたいと考えています。
私たち大人は、福島の未来形を想像することは出来ても、自分の目で確かめることは出来ないのです。

現実の不条理に直面しても、子どもたちの希望は絶やさない
元々子どもは、自分の将来にとても前向きです。しかし、その輝く灯火を消してしまうのが現実。競争に疲れ、不条理な現実世界に絶望してしまうこともあるでしょう。それでも被災地の子どもたちは、今までには見ることもなかった大人の弱さを見るにつけ、どんなに理不尽な事が起ころうとも、どんなに真実が曲げられようとも、自分たちの希望の炎は絶やすことはありません。彼らは涙が涸れるほど泣いたあと、立ち上がったのです。
泣いていても仕方ない。減るお腹を満たすためにも、生きていく、生き抜いていくと決意しているのです。
小さな子どもでも、普段と変わらない笑顔で遊びながら、セルフコントロールしています。そして、時折、とても寂しい顔をしています。

子どもたちの未来は、今のおとな達の責任

せめて後ろ指指されない大人になりたい
三陸の港町では、大都市に行かずそのまま地元で一生を送る子どもも少なくありません。そんな港町に、震災後、国内はもちろん世界中から人が集まり、多くの支援活動を行っていました。子どもたちが知っている大人とは全く違う世界のおとな達。いい人もいれば殴りたくなる人もいました。それでも子どもにしてみれば、数十年分の経験をしたはずです。
そんな彼らは、これから復興に向かう町を通して、更に多くの大人と出会います。いつか自分が主役になる復興。私たち大人は、いつか必ずこの子どもたちに評価されます。大人のせいでイイ町に向かっている、大人のせいで情けない町になってしまった・・・。現実を知っている私たち。それでもせめて子どもたちから後ろ指を指されないよう、今を精一杯、この子どもたちのために努力すべきだと思います。

大人の遺産を継承するのではなく、子どもの世界を創り出す
今のままでは何も解決しないし、全く将来に明るい兆しを見出すことが出来ません。でもおとな達は、ただ政府や行政・東電を悪者にして不平不満を口にしているだけかもしれません。こんな状況だけを子どもたちに遺すことは、大きな罪と言わざるを得ません。
子どもたちはこんな今の世界を継承しないでしょう。彼らは、自ら正しいと思った世界を創り出すはずです。もう既に今の大人では、新しい世界を創り出すことが出来ないことを知っているかもしれません。
せめて私たちの責任において、子どもたちの未来に向けて、今以上に悪くしない努力は必要だと思います。

70年代の先輩達を見習うとき。先達の【負けるもんか】を継承する
戦後復興では、盛田昭夫氏、本田宗一郎氏、のように焼け野原から這い上がり、日本を世界に誇る国にするための高い志を持った先達の『負けるもんか』の努力がありました。
しかし、それから数十年。私たちは、高い価値観を維持することもなく、やがて敗北と呼べる道を歩んでいたのかもしれません。この震災で受けた傷を癒し、今まで以上の日本にしていくためには、もう一度、戦後復興で掲げたような高い志が必要ではないでしょうか。今までの日本に戻るのではなく、真に世界に誇れる成熟した社会を創り上げるために『負けるもんか』と叫び続ける必要があると思います。
将来を託す子どもたちに、その姿を、背中を見せる事が重要です。

全ての子どもたちのために

日本全国の子どもたちが同じ感情を共有している
子どもたちの震災に対する複雑な感情は、決して被災地の子どもだけでありません。様々なメディアやおとな達からもたらされる情報で、これまで感じたことのない感情がこみ上げてきています。
おとな達は、喉元過ぎれば、他人事。でも全国の子どもたちにはそうは映っていません。危機感や悲壮感はもちろん、正義感・焦燥感さえも感じている子どもたち。彼らは『もし、自分だったら』と置き換え、そのこみ上げてくる感情に向き合っているのです。そして、子ども特有の共有感覚。遠く離れ、会ったこともない『トモダチ』にココロを痛めているのです。

高い価値観と世界観を醸成させることが必要
被災地はもちろん、被災地以外の日本中の子どもたちにとって、この震災は、後戻りできないほど変わってしまった日本の現実を直視させると同時に、被災地を含めた日本中の子どもたちが将来を考えるきっかけとなりました。
復興と言う言葉が一人歩きする中、本当に復興した姿を直視するのは今の子どもたちです。遠い将来に、自分たちの姿を想像するのはあまりに難しすぎます。でもそれを今の大人の価値観だけで創り上げていくのは無責任すぎます。子どもたちの将来を考えた新しい日本像。新しい価値観と世界観を子どもたち自らが発見し、それを醸成させていく必要があります。
私たち、おとなはその土台作りを行うに過ぎません。そしてその土台は強固であり盤石である必要があります。私たちおとなは、子どもたちの未来のために自らの価値観を捨てる覚悟で取り組む必要があります。

被災地の子どもたちには特別な価値観がある
家を無くし、家族を亡くし、友人を無くした子どもたち。地震と津波の恐怖を体験し、命を奪われる恐怖を体験した子どもたち。彼らの心に刻まれた傷は私たちの常識を遙かに超えたものです。しかし、それ以上に震災後のおとな達の疲弊した姿を通して、住み慣れた町・家族を失うことの悲惨さを噛みしめています。それでも、彼らには未来を見つめる透き通った瞳があります。おとなと同じように未来を悲観するわけにはいきません。だから、失った町・家族・トモダチのためにも、残された命を燃やし尽くす覚悟が出来ているのです。

子どもを守ることが未来を創る

日本の将来像は、今の子どもたちへの対応で決まる
復興した姿を見ることの出来ない今のおとな達が出来ること。それは未来を託す子どもたちのための土台作りです。彼らの未来を輝かしいものにするか、それとも地獄のような日々を与えるのか。それは今のおとな達の行動次第です。
真の人間らしい生き方、成熟した価値観、見事に復興を遂げ、世界中から賞賛される日本の姿。私たちはこのような日本の未来を子どもたちに約束する必要があるのです。

教育機会を提供する
何度も苦境から這い上がってきた日本。今回もまた不死鳥のごとく蘇るはずです。そのためには、今の子どもたちこそが、原動力です。被災地
の、そして日本の未来を託す子どもたちに高い価値観を与え、無限の創造力を養い、日本はもちろん、世界で羽ばたくトッププレーヤーを担える優秀な人材を目指し育成していくのです。そのための教育。これこそが、子どもたちのためにおとなが出来る土台作り。
私たちおとなは、被災地の子どもを含めたあらゆる子どもたちに、今までとは全く違う価値観で、そして世界に通用する品質で教育を提供する義務があります。
経済活動から社会活動に至る全てのおとなの行動をここに帰結させることで、はじめて復興が完成し、真の世界に誇る日本の将来像を見ることが出来るのだと考えます。

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